77億の感動


アメリカ在住のパフォーマーです。世界人口77億の感動研究中。プロフィールは下のカテゴリーから。
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プリンシパルのない日本

フロリダのイーボアシティはキューバ移民の街。
バーに入ると、レンガの壁、木のテーブルの昔ながらのインテリア。
日本のウイスキーが置いてあった。
キューバはどっしりした昔からのじじいとおばばの文化だと思う。
男も女も年齢に関係なく、セクシーである。
男からは巻き煙草、女からは強い花の香水の香りがする。

NYから戻って、すぐにフロリダのタンパのショーがあって
なぁんかウロウロしたくて、寄ったのです。
もったりしたオーストラリアのシャドネを飲んで
バーのカウンターの、ウイスキーと巻きタバコの箱を見ていると、
大阪のおじの家を思い出しました。

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おじは、三船敏郎みたいな白いスーツにパナマ帽をかぶって、
遊び人のような格好で会社に出かける人でした。
もうひとりの長兄のおじがよく言ってました。
「あいつはなぁ、頭がキレたんや。
戦争で学校に行けなかったんや。おもろなかったと思うわ。トルストイの好きな男でな、、、」
彼は、戦後の闇市場で、賭け事に勝つ計算に強く、ひと儲けしたけれど、いくつか保証人になって、大借金をかかえて会社に勤め、上司を殴り何度か会社を変わった。

私はおじ家族と同じハモニカ横丁に住んでいた。
カギッコだった私は、学校の帰りにおじの家で過ごすことが多かった。
雨の日は外に出れず、じっと綺麗なウイスキーのガラス棚を見て雨音を聴いていた。

「おもろなかった」日々をおじは飲んでばかりいた。
胃潰瘍から胃がん、49歳の若さで逝ってしまった。

白洲次郎さんを「アメリカ占領下を背負った男」という。
それは彼一人ではなかった。
プリンシパルのない日本を背負い、
多くの若者達が必死に生きた。

おじは胃がんで入院していた頃、
うな丼だの、天ぷらだのを持ってこいといい、
私は、おばがこさえたお弁当の出前係りだった。
おじは、浴衣のような寝巻きに帯を低く巻き、
西部劇のジョン・ウェインのようだった。
私は小学生で、ハンサムなおじに照れくさかった。
「しっかりべんきょーしてるか?東大いけよ。京大でもええど。ほれ、この本をやろう。チェーコフや。有島も読めよ。もっていけ。」

おじのぶんまで、私はプリンシパルを持って日本人としてしっかり生きていけるだろうか?

昼間のバーは人けがなく、もの思いにふけってしまった。
たまにはいいのだと思う。
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by kunikotheater | 2010-03-14 07:05 | エッセイ

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