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77億の感動


アメリカ在住のパフォーマーです。世界人口77億の感動研究中。プロフィールは下のカテゴリーから。
by KunikoTheater

寝正月ヒーロー

お正月は寝正月。
お雑煮は普段のお味噌汁におもちが入るだけ、
部屋の飾りつけは、たまたま持ち込んでいた、自分の生徒が描いた干支の絵。
うちの母は昔から、そんなんでした。

そういうノリ、一体なんやねん?
ふ~む、
ひとつには、ケチというのがある。
もうひとつには天性のずぼらというのがある。
もうひとつには、、、、

***

今でも覚えているのですが、
学校の教師の母は、時折、自分の生徒を家に泊まらせていました。
恵まれない家庭状況の生徒たちでした。
ひとりっこの私は、一緒に遊ぶ友達がでけて嬉しく、
どの子がきても仲良くしてました。
おそろいの服を着たり、一緒のおふとんで寝たもんです。
時々、きたな~い子が来て、
近所のおばばがお風呂に連れていき、3軒先のおばが散髪してあげて、長屋はにぎやかです。
ひとり、ふたりと増えていくこともあり、多いときで、4人が狭い家に転がり込み、警察が取り調べにきたこともありました。
家が無く、入れる施設もなくて、1年近くいた子もいました。ある日、大きな黒い車が止まって、ばらのワンピースを着たおばさんにひきとられました。
母は、連れてきた子どもに、特別に何をするわけでなく、
私と同じように食べさせ、本を読ませ、「あんたは賢い」とほめまくって、おだてまくって、寝かせるのでした。
それは私に使う手とまったく同じで、
誕生日を祝ったり、お正月をしたり、の面倒でお金のかかることはいっさいなしで、めでたい母でありました。

4年生の時、私はよしのさんを家に連れてきました。
特殊学級のよしのさんはお父さんが死んで、帰る家がない、と担任の先生に頼まれました。
彼女は週に2日、私達の4年1組に来ます。
私は出席番号がよしのさんの一つ前で、そのせいか、彼女はいつも近い感じでした。
きりんのように背が高く、南の子のように色が黒く、魚のように無口で、ふしぎな雰囲気のこでした。

母は、私とよしのさんを従え、彼女がいたという家を探しにいきました。
国道沿い工場裏、自動車廃棄場にあるバラックで、
破れたトタンが屋根、スクラップが壁でした。
10人位のおっちゃんが座ったり、寝たりしてはりました。

おばは日曜日の朝、よしのさんの髪をとかしながら、「ほんまは15歳くらいかな?」と訊きました。
よしのさんは頭をかしげました。
彼女はお誕生日も知らないし、自分の年齢も知らなくて、
母は「うちのくに(私のこと)と同じでええやん」と例のすぼらをかますのでした。

私は、ゴム飛びに人生のすべてを捧げていた頃でしたので、
外で遊ばない彼女とはあまり遊ばなかったけれど、
寝る前に絵本を読んであげるのが好きでした。

クリスマスが近づく頃、
よしのさんは病気みたいになり、おばがよしのさんを病院に連れていきました。
妊娠でした。

その後、何日も、
母は、帰ってくるのが深夜で、
おばと毎晩よしのさんのことを話していたようです。
母は寝不足のせいか、元気がなく、
気分解消やと思うんですが、
青天の霹靂で、
「よっしゃ、今年はクリスマスの会をするで!」
と宣言しました。

で、
12月中旬から、大きなクリスマスケーキを注文し
場所はおばの家、ということで、
早速クリスマスツリーを買ってきて、飾りつけました。ました。
私にとっては生まれて初めてのお祝い事で、興奮しました。

当日、母はゆで卵10個と、ほうれん草のおひたし、という、不可解なものを持ち込み、
料理上手のおばがてんぷらを並べました。
おばの息子のクソガキ3人と、私とよしのさんが子ども軍団で、
他にお隣のおばちゃんやお菓子屋のおじいちゃんも来ました。
おじがウイスキーをなめさせてくれ、
子どもたちは全員酔っ払い、
私はケーキを食べまくり、ゆで卵を6つも食べました。
よしのさんも楽しく、いっぱい一緒に食べました。

そこへ、緊急事態発生です。
おじから腕立て伏せ30回の命令が勃発。
(おじは気分がいいと、この命令を発します。)
すみやかに子ども軍団はよしのさんも含めてみんな畳に伏して対応。
更には、うでずもうへと自主体制を組み、
お膳と台所片づけ命令に全員出動し、
最後は、すもう3回戦という深刻事態に突入。
柔道バリバリのクソガキトリオは強く、私は負けて痛い目にあい、泣きまくり、
よしのさんに手をひかれて家に帰りました。

大人たちは、夜遅くまでしゃべっていたようです。翌日の母の目は赤く腫れていました。
「お母さん、どないしたいん?泣いたん?」
「よしのさんはな、赤ちゃんを産んでも、ひとりで育てていかなあかんねん。
こんな事、放っておかれへん。。。。放ったらあかん。
でもどないしたらええかわからへんねん。
赤ちゃんがおったら、入れる施設なんかあらへん。
みんなの力でよしのさんが中学校へいけるようにせなあかん。
どないしたらええと思う?」
「うちで赤ちゃん育てたらええやん」
「あんたなぁ、、チューリップ植えるみたいに言いなや~
赤ちゃんがいたら、あんたは毎日子守りやで。ゴム飛びなんかでけへんで。」
ゴム飛びができなくなる、、、それは世紀末や!
私は即座にコトの重大さを察知しました。

結局、数日後、お正月前に、
母が何度も会いにいった教育委員会のえらいさんがなんとかかんとかで、施設が見つかり、
よしのさんは、遠くの施設に移りました。

お正月は寝正月。
お雑煮は普段のお味噌汁におもちが入るだけ、部屋の飾りつけは自分の生徒が作った干支の絵。
相変わらずのずぼらな、この説明のしようのない、私の母のノリ。
どうにかしてほしいが、
母は、昼寝をきめ、「起こしたら、足こそばしの刑やでぇ~」。
しょうがないので、私はおばの家へ行き、
クソガキどもが釣りにいったすきに、
やつらのマンガを読みまくったのでした。
「あしたのジョー」はみなしごだけど、ありとあらゆる試練を乗り越えて宿命のボクサーになり、
「水滸伝」の豪傑たちは、魔星の生まれ変わりとして、力をあわせて、悪い官吏を倒していく。
私もゴム飛びで正義を示すんや、って燃えた。
昼寝を終えた母にその意思を伝え、
「お母さんも教育で正義を貫いてねぇ」と言うと、
「ほなら、あんた、このテストの丸つけ手伝ってぇ~、あたし藤山寛美ちゃんの番組見たいねん。」とのたまうのでした。

今になって思うと、
母のノリは、
彼女の正義と何か関係があるのかもしれません。
どんなにずぼらでケチでも、
家のない子は放っておかない、というのは、
子どもたちへの愛であり、正義であり、
たいしたことはできないにしろ、
それはそれなりにカッコよく、
母は永遠に、
私の寝正月ヒーローなのでありました★
by kunikotheater | 2010-01-08 13:57 | エッセイ